ストップ地球温暖化

2021年5月17日の中日新聞の朝刊に搭載されていた記事は大変興味深いものであった。国産バイオマスだ。政府が目指す2050年の温室効果ガス排出量の実質ゼロに向け植物など生物資源を原料にしたバイオジェット燃料が航空業界の期待を集めている。植物や藻類は成長過程の光合成でCO2を吸収し航空機がCO2を出しても相殺され排出量削減につながるとされる。

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 注目すべきは微細藻類のミドリムシだ。成長過程で多くのCO2を吸収するミドリムシは体の三割が油分。これを抽出精製することで燃料となる。ミドリムシ由来の油脂の効率を高めれれば将来的には石油由来の燃料と比べれば最大で9割のCO2排出量の削減が可能と言われている。今後年間を通して温暖で培養に適したインドネシアで実験を進め25年に日本に商業プラントを新設。トラックなどのディーゼル車向けと合わせ現在の二千倍の年間二十五万キロリットルのバイオ燃料の生産を目指す。・・・中日新聞より

 

しかし現在大変大きな危機問題に直面している。それは多くの微細藻類ミドリムシ等は海洋や湖に生息しているということだ。現在海洋汚染は極端に増加し汚染が進んでいるということだ。

人間世界でのプラスチック製品やビニールまたは有毒な化学製品、ゴミなどが川から海に流れ海洋を汚染している。特に微細藻類は水深が浅く光合成が出来るところに生息する。

 海岸や河川の水際で人の目につく有害物質の量は極めて少量で多くは海洋へと流れている。

とすれば、今や海や川はゴミ溜である。よく見かけるのは車からポイ捨て、お弁当やタバコのポイ捨て等は回りまわって海洋汚染をしているのだ。海の生物の魚介類にも影響を及ぼしている。こんな無法で人間社会が成り立ち自然を破壊して、自然を犠牲にしている。

このままだと、微細藻類までも絶滅の危惧にあるということだ!

 

 小さなことだが私は弊社の前を毎朝掃除をしている。しかしいつの間にか道路や敷地にゴミが捨ててあるのだ。人が見てない、目の届かない草むらなどはゴミだらけ。

 多くはパンや菓子のビニール袋やタバコの吸い殻、中には赤ちゃんのオムツ等々、食べかけのオニギリやカップラーメン数えきれないほどゴミ、それにカラスが参加して散乱。風であたり一面に散乱します。

 いらなくなった物やゴミは、キチンと持ち帰って分別して出しましょうよ!ごみのポイ捨ては犯罪!です。海洋汚染です!町内会ももっときびしく徹底しましょう。

 昔は隣近所朝はお掃除の会があった。町をきれいにしましょう!

 

 

 

5月連休を振り返って

 今年のゴールデンウィークは新型コロナ感染で散々だった。正月から5月までまとまった休日が無いことから連休には期待するものが大きい。しかも愛知県は今度も又非常事態宣言が31日まで延長となった。

 活動範囲は制限され、不要不急の外出も制限され自宅に閉じ込められた状態に近い!

県をまたぐ外出は、規制されるし飲食店の8時までの制限や酒の提供もご遠慮となっている。これでは、もう限界ではないだろうか?

頼みのワクチン接種の情報も曖昧だしマスクは日常から取れなくなってしまった。

それでも、まだまだ感染者は増える一方だ!

まるで昭和時代の世界大戦の戦時下の様だ。もう誰もが自由を失っているのではないか?いつまでこの戦いは続くのか?

 しかしこうゆう時は考え方を変えないといけないのだろうね。国が我慢せよと言っているのだから、耐えないといけない。今全世界が、苦しんでいるのだから。

それでも人々は生き抜いて来たのだから、出来ないことはない。

 

今年の連休は、家庭菜園の没頭した。毎年恒例の作物含め新たな夏野菜にチャレンジしました。それらは指折り数え切れないほどです。

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それの学習や管理に追われます。その合間を近場でトレッキングなど散策を混ぜて過ごしたら、結構充実した連休になりました。妻にもハードに手伝ってもらって助かりました。

 又管理物件の草取り除草、果樹の消毒など研究しながらやりました。

農家に休み無しと言うけれどよく分かります。

疲れたときは、甘夏みかんとドリンクが良かったです。そのうち木々の間から春蝉が聞こえて来るでしょう!

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 連休だけにこだわらなくて良かった!

 

 

 

新居の関所を散策

休日を利用して汐見坂から浜名湖を訪れました。陽気な晴天に恵まれ本当に行楽日和です。汐見坂より眺める太平洋の海原は青く空も雲1つ有りません。目線は遠く水平線を望み空と海にすっと吸い込まれるようでした。

汐見坂を越えると浜名湖です。海へとつながる上を浜名大橋が渡っています。

今回の散策は国道1号線の汐見バイパスから下り本道に乗り新居町へ向かいました。

現在は浜名競艇場が有名ですが、ちょっとそれて新居の関所を訪れました。

 新居の関所は東海道でも箱根の関所と同じ「最も重き関所」とされ通行者には厳重な取り調べが行われました。東海道に位置する新居関所は江戸への最初の関門、江戸から出る時は最後の関門ということもあり、ほかの関所より「入鉄砲と出女」の改めがきびしいことで知られていました。

 

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現在の関所跡は、幾度か地震津波、風水害によって移転したそうですが3度目の場所だそうです。

もともと浜名湖は大きな湖でしたが細く長く伸びた海岸線に沿っていたため嵐に遭ったりしたら決壊するのも納得します。

 新居は三方を海に囲まれ東海道のほぼ中間にあたるが海にさえぎられています。そのため東西交通の要衝とされました。

 江戸時代には浜名湖の東西を結ぶ「今切れの渡し」の渡船場があり陸、海路の中継点となっていました。

 現在は、ほとんど埋め立てられて陸の上に建っているようですが関所の北側と東側は浜名湖に接していたようです。当時の資料によれば東西約60m、南北約140mあり、そのうち東側の約74mが渡船場になっていました。周囲は石垣により高台となっておりました。

 

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上図の丁度右側(東側)に渡船場(船着き場)があり周囲は柵矢来と呼ばれ北側は尖り柵南側は笠木土台付の柵に囲まれ西側には大門がありました。

 東側の渡船場から面番所を望む

 

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将軍上洛風景

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番所の建物 東側

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 面番所正面

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女改め長屋から南側を望む

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西側から

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中庭の黒松が美しい

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建物内部

御書院

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書院から上の間への通路

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上の間には鎧甲が展示されている

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中の間 右側の役人が上席:番頭、給人

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次の間  下改、同心が控えている。先ずはここで取り調べである。

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五街道と新居の関所 江戸から京までのほぼ中間点に位置している。

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地図の中に浜名湖の北側を通るルートもあった。いわゆる姫街道だ。このルートは東海道の見附宿から市野宿、追分、気賀宿(気賀の関所)、三ヶ日宿、嵩山宿、和田宿から吉田宿へ又は御油宿へと繋がっている。余談なのだが浜名湖の水運船乗りが姫様(女性)にいたずらをするので陸越えをしたのだそうです。

しかし、浜名湖は大きな湖であったため関所破りが簡単に出来そうです。そこで幕府は

各所に監視網を張り巡らしました。

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図の通り網の目のような監視所が沿岸に54箇所その村々を要害村としました。又気賀の関所管轄地域を加えると全部で67ヵ村あったそうです。

船乗りや漁師の監視の目を抜けることは無理がありますね。

それでは、新居の関所へはどこから渡ってきたのでしょう。それは舞阪港が西への最先端でした。

 舞坂宿と新居宿を結ぶ航路であった今切渡しが27丁(2.9㎞)であったが災害などで1里(約4km)の延長により渡航が不便になった事もあった。

舞阪港付近:江戸時代ここから新居へと渡った。

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北雁木の荷下場の案内板があります。

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今は国道1号線浜名バイパス浜名大橋が浜名湖今切口を繋いでいます。

浜名湖にかかる浜名大橋 赤い鳥居は弁天島の鳥居です。

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ちなみに弁天島は多くのホテルが建ち並び様相を変えています。

そして浜名湖といえば、うなぎでしょう。この付近はうなぎ屋さんが多くあります。

弁天島のホテル群

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帰りは、浜名旧街道を通りました。

 

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汐見坂海岸より陸にあります。

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春の雨

先ほどから大粒の雨が降り出した。どんよりとした空は何時降るのかと思っていたら

降り出した。さほど寒くもないが室内にいるのが、うっとうしい。

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茶店でも行って、お茶でも飲もうか。軽い音楽でも聴きながら本でも読もうか。

それなら、何処か景色の良い店に行きたいな。タバコでも吸ってみたいな、昔のように

どうも年寄りくさくなったな。知っている音楽は軽音楽でも昭和の時代ばかり。

最近の若い人達の曲は、さっぱりだ!

それなら、小椋佳の歌がいい!

青春時代に、友達の部屋で、よく聴いていた歌だ。

外は新緑の木々が若葉が香る。雨ふりが天気が悪いなんて思わない。

友と何気ない話を時を忘れて過ごした日々が懐かしいな

 

春の雨はやさいしいはずなのに

小椋佳作詞・作曲

むなしさが 夕暮れと雨を連れて来て
寂しさが 夕空と街を闇にぬり
何だか涙も出やしない 出やしない
春の雨はやさしい はずなのに
すべてが ぼやけてくる
どってことないんかな どってことないんかな

むなしさが 想い出も友も連れ去って
寂しさが 夕空と街を闇にぬり
何だか涙も出やしない 出やしない
春の雨はやさしい はずなのに
すべてが ぼやけてくる
どってことないんかな どってことないんかな

春の雨はやさしい はずなのに
すべてが ぼやけてくる
どってことないんかな どってことないんかな

 

 

長篠城の見学

  休日を利用して東三河古戦場の長篠城を訪れました。長篠の戦いは歴史上最も知られるところです。私も中学生の頃飯田線に乗って訪れています。

 その頃、黒澤明監督、三船敏郎主演の「風林火山」という映画がありました。先輩友人と豊橋市駅前にあった丸物ビルの中の映画館に行きました。豊橋丸物は今はありませんが渥美線の駅前に有り豊橋では有名なデパートでした。

 さて「風林火山」は武田信玄公とその豪傑な家臣団、特に牛久保から武田家に使えた軍師山本勘助の生き様を描いた映画でした。

 三船敏郎演じる山本勘助甲州戦国大名である武田家に仕え近隣の豪族を次々と攻め滅ぼし従えたり領地をどんどん拡大してゆきます。ついには越後上杉謙信との争いになって川中島で対峙する話なのですが、今回は信玄公が没してから家督を継いだ武田勝頼の時代の戦いの事です。この戦は長野県、山梨県、愛知県の広域に広がっています。

 私がまず到着したのは長篠城です。この城跡は長篠の戦いでは、一番のキーポイントです。城郭入口左側は大きな土居があります。

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この写真みたら歴史学者小和田先生や城郭研究学者千田先生、歴史学者の磯田先生の範疇で得意満面しょう。ま、素人の私が簡略に説明しますと

  協力豪族であった奥平信昌の裏切りにあい激怒した武田勝頼三河へと続く要衝の城をなんとしても奪い取る必要があった。

 三河には徳川家康の領国でありこれを攻め滅ぼすにはなんとしても必要な城であった。時に武田軍1万5千の軍に対して奥平氏はわずかに5百人の兵である。死守するにはあまりにも力の差がありすぎるだろう。

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 案内図を利用で申し訳ないのだが中央に長篠城があります。これを挟むように豊川上流の寒狭川と宇連川が合流して豊川が流れています。奥平軍は奮励するもあまりの武田軍の兵の数の差にじりじりと攻め込まれ籠城戦となった。あと4~5日で兵糧がつきる。天正3年5月15日(1575年6月23日)武田軍は総攻撃を仕掛けた。

そこで本体の徳川軍に救援の伝令を送る必要があった。選ばれたのが鳥居強右衛門である。時に36歳であった。 

 強右衛門は16日未明夜陰にまぎれ寒狭川より入水し豊川をくだり武田軍の包囲網を突破し一路岡崎へと向かった。片道50kmを1日で走り抜け岡崎城に着いた。織田軍は既に到着していた。徳川家康織田信長の前で城の危急を訴えまわりの者も感動した。使命を果たして、一同彼の忠義をほめたたえ休むよう労ったが織田徳川両軍3万8千の兵が救援すると聞くや安堵し、すぐさま一路引き返した。しかし長篠城に引き返した時に武田軍の包囲網にかかりあえなく捕らえられてしまった。

 

 武田軍からは「援軍は来ない城を開けよ。武田軍は厚くもてなす」叫べらるるよう説得されて城近くに立った。しかし強右衛門は「援軍はくる。この目で見てきた。あと2,3日堅固に守れ」と叫んだので、対岸の裾野で磔にされた。18日には織田、徳川両軍は陣をしいた。

            長篠の戦い絵図

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中央左辺りに織田徳川両軍の柵が有り鉄砲隊が見える。

 

 地形図:長篠城は寒狭川、宇連川合流した豊川に挟まれています。

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更に南まで大きく陣が広がっていますが桃色札が織田、徳川である。右側の盆地が武田軍の騎馬隊を鉄砲で打ち負かしたところです。

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 戦の論議は別として、この戦で武田軍の多くの重臣は戦死し大敗してしまいました。武田勝頼はわずかな手勢で甲斐へと落ち延びたそうです。

 長篠城本丸跡地

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本丸跡地から城跡を眺める。現在は第二東名道路が通りその高架橋が見える

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堀の向こう豊川の対岸には武田軍の陣が敷かれていました。正に絶体絶命でしょう。

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飯田線豊橋から長野県上伊那郡辰野駅を結ぶ路線である。城跡に沿う飯田線は今もなつかしい!

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 この辺りから長野までは山中を越えて行きます。四季を通じて秘境駅などローカルな風景が楽しめます。 

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長篠城跡史跡保存館:多くの歴史古文書や武具などが展示されている。 

 

 

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史跡保存館:正面から望む

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展示品:武具などは本物です。許可を得て撮影しています。

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展示品:刀剣など本物です。許可を得て撮影しています。

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展示品:撮影許可出来ないものも数多くあります。是非実際にご覧になって下さい。

 何時の時代も戦での勝ち負けよりも犠牲になった人達を思うと空しくやりきれないですね。

 

豊川 江島橋付近での夕景をぼんやりと眺めてみました。今日も豊川はゆったりと大きく流れています。

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寅さんと生きた時代

 昨日まで、汗ばむ陽気も今朝から寒くなってきた。この前の寒波程では無いにしても

風がしみる。往年の映画「フーテンの寅さん」夏冬関係なく同じ衣装で演じてました。

今なら、冬の港町で肩をすぼめたシーンを思い出します。

 きっと撮影もつらかったと思います。テキ屋の商売で気勢を張り上げバナナのたたき売りや、おもちゃなど売る。安旅館で一人熱燗を飲む。

 寅さんは、おもしろかったが笑いの中に涙を隠した下町の人情味あふれる人とのやりとりが有った。

 青年時代、盆暮れ正月には、必ず寅さんを見に行った。映画の本数を数える内に次第に見に行かなくなりました。

 笑いの中に自分を置いたからです。もう笑えなくなりました。

 当時は、高度成長のまっただ中です。世の中は景気の波に飲まれて行きます。下町の人情劇は忘れられて面影を残すものは、どんどん無くなっています。これからも、まだまだ変わってゆくでしょう。

 寅さんは、我々世代の英雄でした!

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何時までもありがとう!

 

 

今日は聖バレンタインデー

 庭の沈丁花が香り出しました。2月 ある時は凍りつくほどの厳寒を思い、また3月の温暖な日は喜びにあふれ、あるいは時によって変わる日々のうつろさに時を過ごしています。

 聖バレンタインデーはそんな季節の中のいたずらな1日でしょうか? あまいチョコレートの贈り物は心優しい若者の心を弄ぶものでしょう。

 

 老人の仲間入りした私ですが、沈丁花の甘い怪しい香りとチョコレートはずっと昔の青春時代を思い出させてくれます。

 

  一体何がバレンタインデーなのかと思いつつも 今日は誰かからの贈り物があるような気がします。無くても頂いた気分で一日過ごそうと思います。

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