新居の関所を散策

休日を利用して汐見坂から浜名湖を訪れました。陽気な晴天に恵まれ本当に行楽日和です。汐見坂より眺める太平洋の海原は青く空も雲1つ有りません。目線は遠く水平線を望み空と海にすっと吸い込まれるようでした。

汐見坂を越えると浜名湖です。海へとつながる上を浜名大橋が渡っています。

今回の散策は国道1号線の汐見バイパスから下り本道に乗り新居町へ向かいました。

現在は浜名競艇場が有名ですが、ちょっとそれて新居の関所を訪れました。

 新居の関所は東海道でも箱根の関所と同じ「最も重き関所」とされ通行者には厳重な取り調べが行われました。東海道に位置する新居関所は江戸への最初の関門、江戸から出る時は最後の関門ということもあり、ほかの関所より「入鉄砲と出女」の改めがきびしいことで知られていました。

 

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現在の関所跡は、幾度か地震津波、風水害によって移転したそうですが3度目の場所だそうです。

もともと浜名湖は大きな湖でしたが細く長く伸びた海岸線に沿っていたため嵐に遭ったりしたら決壊するのも納得します。

 新居は三方を海に囲まれ東海道のほぼ中間にあたるが海にさえぎられています。そのため東西交通の要衝とされました。

 江戸時代には浜名湖の東西を結ぶ「今切れの渡し」の渡船場があり陸、海路の中継点となっていました。

 現在は、ほとんど埋め立てられて陸の上に建っているようですが関所の北側と東側は浜名湖に接していたようです。当時の資料によれば東西約60m、南北約140mあり、そのうち東側の約74mが渡船場になっていました。周囲は石垣により高台となっておりました。

 

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上図の丁度右側(東側)に渡船場(船着き場)があり周囲は柵矢来と呼ばれ北側は尖り柵南側は笠木土台付の柵に囲まれ西側には大門がありました。

 東側の渡船場から面番所を望む

 

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将軍上洛風景

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番所の建物 東側

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 面番所正面

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女改め長屋から南側を望む

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西側から

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中庭の黒松が美しい

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建物内部

御書院

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書院から上の間への通路

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上の間には鎧甲が展示されている

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中の間 右側の役人が上席:番頭、給人

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次の間  下改、同心が控えている。先ずはここで取り調べである。

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五街道と新居の関所 江戸から京までのほぼ中間点に位置している。

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地図の中に浜名湖の北側を通るルートもあった。いわゆる姫街道だ。このルートは東海道の見附宿から市野宿、追分、気賀宿(気賀の関所)、三ヶ日宿、嵩山宿、和田宿から吉田宿へ又は御油宿へと繋がっている。余談なのだが浜名湖の水運船乗りが姫様(女性)にいたずらをするので陸越えをしたのだそうです。

しかし、浜名湖は大きな湖であったため関所破りが簡単に出来そうです。そこで幕府は

各所に監視網を張り巡らしました。

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図の通り網の目のような監視所が沿岸に54箇所その村々を要害村としました。又気賀の関所管轄地域を加えると全部で67ヵ村あったそうです。

船乗りや漁師の監視の目を抜けることは無理がありますね。

それでは、新居の関所へはどこから渡ってきたのでしょう。それは舞阪港が西への最先端でした。

 舞坂宿と新居宿を結ぶ航路であった今切渡しが27丁(2.9㎞)であったが災害などで1里(約4km)の延長により渡航が不便になった事もあった。

舞阪港付近:江戸時代ここから新居へと渡った。

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北雁木の荷下場の案内板があります。

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今は国道1号線浜名バイパス浜名大橋が浜名湖今切口を繋いでいます。

浜名湖にかかる浜名大橋 赤い鳥居は弁天島の鳥居です。

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ちなみに弁天島は多くのホテルが建ち並び様相を変えています。

そして浜名湖といえば、うなぎでしょう。この付近はうなぎ屋さんが多くあります。

弁天島のホテル群

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帰りは、浜名旧街道を通りました。

 

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汐見坂海岸より陸にあります。

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