昔なら、歩いて、おくのほそ道の旅に出ただろう!

月日は百代の過客にて、行かふ年も又旅人也。ご存知松尾芭蕉のおくのほそ道の一節である。時は元禄二年(1689年)江戸の芭蕉庵を後に東北仙台への旅路となる。そして各名句を残しその軌跡を知ることとなる。「五月雨をあつめて早し最上川」「島々や千々に砕きて夏の海」は松島を詠い、「松島や、ああ松島や」が有名だが実は芭蕉の句ではない。その旅姿や交通手段は、現代の様子とは随分違うが、のどかで雄大さを思わせる。しかし昔の旅は生き死にが関わってくるから大変だ。高速道路を車で、ぶっとばして一日コースなら500km位は可能だから、その日の内に、現地に到着できるだろう。しかしそれでは俳句にならない。一歩々、歩くことで目から情景が入ってくるのだ。GWは、どうだろうか。便利の筈の車社会であるが、実はなにも見てない。見えていないのだ。つまりは見落としているのだ。むしろ、いらない情報として排除しているのかもしれない。現代は情報が煩雑多岐であるため、それもやむを得ないだろう。でもそうして、日本人古来の情緒をも排除しているのかも知れない。ようはポイントだけ飲み込めばその場はとおる。学校の試験問題に出そうな所だけ学習するようなもの。そういう要領で切り抜けられる。だから余分な事は考えるな。と学校でも教えられるから要領のいい子が重宝される。のんびり考える子は、置いてきぼりになる。話は戻るが、江戸時代の町人は自分が決めた職業を親方や師匠から見てあるいは体感して覚えたり学習したりしたから、以外と自由に業が選択出来たんだろうと思う。飴やから、彫り師、大工、左官などと、親方から身を以て体感して、学習したから流儀は千差万別であったに違いない。それは又、それで個性もあり良いのだろう。しかし、高速道路の低料金だといって、お父さんを引っ張り回して、徒にあちらこちら慌てても、大人げないと、思いませんか?もっとみじかな所に趣はありませんか?まあ、とりとめのないGWを、爽やかな5月の風のもと、のんびり思いに慕っていました。
そしてGWも終わりです。またまた、ビスタ姫島のhttp://www.homes-net.co.jp/20v-himeも、ご覧下さい. よろしくね!