かつて渥美線には、幻の路線があった!

 かつての渥美半島には、幻の鉄道路線が存在していました。現在豊橋駅から路面電車の乗降できるプラットホームがありますが、かつては、渥美線柳生橋から乗降でき、新川、札木、八丁通へとつないでいました。渥美線の乗降数が多い時代には、愛大前の次には司令部前とか、(ちょっと、古くさい話にになりますが…) ユニチカ豊橋工場への支線もあり田原では天伯駅から小野田セメント田原工場への支線も活発に動いていた時代もありました。それは需要と供給のバランスや時代と共に廃線廃駅となって現在があります。
 私もしばしば国道259号線を江比間から石神(夕陽が浜)の信号あたりの左側をよく見ると、小高い土手が連なっているのがわかります。そうです。これがかつての渥美線の軌道敷跡なのです。
 もともと(1927 昭和2年渥美線は新豊橋〜豊島〜三河田原であった。そして実は1926大正15年には、三河田原以西にも伸びていたのです。三河田原駅加治駅〜黒川原駅(黒河原)です。おおむね2.8Kmの距離ですがあまり利用客が少ないため廃線(昭和29年)になりました。
 そして問題の幻の路線ですが、黒川原〜三河福江間15.1Kmの敷設は国鉄により進められていました。この予定区間は、黒川原〜三河大久保〜三河野田〜馬草〜宇津江〜江比間〜伊川津〜三河高木〜三河福江でした。
 もともと渥美電気鉄道は黒河原以西が考えられていました。それは伊良湖岬に軍需施設があったためですが、太平洋戦争突入と共に不要不急路線となり、休止廃線となってしまいました。
 さらに、路線の予定では三河福江から掘切までありましたが、用地買収のみ行われて工事までには至りませんでした。
 渥美線の概要ですが、今思えば本当にもったいない話では、有りませんか?なぜなら今から路線を作ろうとすれば、莫大な費用と時間を要します。この渥美縦貫鉄道が生きていたら渥美半島は本当にどうなっていたでしょう!実は伊勢湾架橋にもこの鉄道の構想が含まれていたことを、ご存知でしょうか。
 いまは西高東低の風が吹く中、この鉄道計画が実現していればと思うばかりです。そしてその先端からは、伊勢、知多半島へと橋でつなぎその流通経路は格段の通行量として中部圏の重要なポイントと位置ずけると確信しています。幻の路線どころか、夢の路線に違いないのです!私は、この構想をもっともっと広げて太くし、賛同得るべき人達で、盛り上げては見たいとおもうものです。かつての先人達が描いた構想を実現しませんか?
そして、その路線の軌跡は、今も江比間〜高木あたりに見ることができます。