呉へ

 呉は地形的に天然の良港と言われ、古くは村上水軍の一派が根城にしており、明治時代以降は、帝国海軍・海上自衛隊の拠点となっています。そこには大和ミュージアム・てつのくじら館など海軍・海上自衛隊に関する博物館があります。呉市日本海軍が誇る軍需工場や港が有ります。また江田島市と並んで海軍の最重要基地でありました。

 

 戦前は呉海軍工廠において世界最大の戦艦でもある大和などが建造され、東洋一の軍港・日本一の工廠として知られていました。このため、太平洋戦争末期には呉軍港空襲において米軍の空襲を受け、大きな損害を受けています。 現在は呉の歴史と造船・製鋼を初めとした科学技術を残し、日本の歴史と平和の大切さを認識して頂くとともに、子供達に科学技術の素晴らしさを理解し教育や文化に大きく寄与する展示館があります。

大和ミュージアムの駐車場からの風景とてつのくじら館

f:id:visutahimesima:20220403170458p:plain
f:id:visutahimesima:20220403170520p:plain

 

 

大和ミュージアム玄関と呉の夜景

f:id:visutahimesima:20220403170606p:plain
f:id:visutahimesima:20220403170627p:plain

 大和ミュージアムでは全長26.3mもある1/10実物大を始め第2次世界大戦当時の軍事兵器、設計図や写真等が展示されている。戦争末期、沖縄方面へ出撃したがアメリカ軍の機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された。

戦艦大和の模型

f:id:visutahimesima:20220403170707p:plain

 

 私達、戦後の昭和20年代の生まれですが、父親が出兵し敗戦となった事を聞きまた子供ながら友達の親が海軍の大和の乗組員だったことなどからまだ世間は一般に大和魂を教えられた時代でした。でも大和は何故最後に出兵したのかは分かりませんでした。何故負けたのかもです。

 戦前日本はの教育は神国であり軍国主義一徹で、規律が守られていました。小学校の運動会では軍艦マーチの行進曲で行進した記憶があります。それが正しいのだとまだ文部省も教育していたのですから。

 大和ミュージアムの展示場は4階建です。1階部分に大和ひろばがあり1/10大の大和の模型が有ります。1~2階部分はスロープになっており2階には本物の零戦や海底から引き揚げられた人間魚雷「回天」などが有ります。

2人乗り人間魚雷と零戦

f:id:visutahimesima:20220403170739p:plain
f:id:visutahimesima:20220403170757p:plain

 

一人乗り人間魚雷「回天」と本物の魚雷(爆薬は抜いて有ります)

f:id:visutahimesima:20220403170832p:plain
f:id:visutahimesima:20220403170851p:plain

 

 

零戦に搭載された機銃と大砲の砲弾(白 高さ1.6m太さ46cm)

f:id:visutahimesima:20220403170927p:plain
f:id:visutahimesima:20220403170950p:plain

 

戦艦に装備されていた大砲(砲弾の装填部)  呉名物「海軍カレー

f:id:visutahimesima:20220403171412p:plain
f:id:visutahimesima:20220403171031p:plain

 

海軍さんは陸軍と違い食事は良かったそうである。特にカレーが出ると水兵さんは喜んだそうである。元々インドのカリーとはほど遠いかも知れませんが更新料効いた料理は日本風の方が良いでしょう。海軍では実は月月火水木金金で曜日が分からなくなってしまうので金曜日の夕食に出て曜日の確認にもなったそうである。

 

ある意味合いから兵器の開発は科学技術の発展に繋がります。しかし祖国のため、戦うと言う本来の意味合いから超脱して決して兵器を侵略などに使用してはならない。