水資源を訪れて:牟呂松原頭首工

   豊川用水はるか下流の渥美の灌漑用水は農家の生命となった。かつて豊川用水の無い時代、豊富な水は農家にとって作物を耕作する上で貴重で有る。それが故に諍いの元にもなった。家屋敷や畑の中に井戸を掘って地下水をくみ上げて生活源としていた。昔は田原や赤羽根、渥美地区では雨水を瓶にためて飲料水や生活の水となって凌ぐ事もざらであった。夏干魃になると農作物は全滅の危機にさらされる。家畜さえも養えず離散するのも現実にあった。今日そうしたことは忘れ去られて便利な時代である。今日は、史実を踏まえて新城市の一鍬田にある豊川用水の井堰の牟呂松原頭首工を訪れてみました。

 牟呂松原用水は、豊川の牟呂松原頭首工を取水口として、豊川右岸の水田地帯を潤し、日本有数の一大農業地帯、東三河地域発展の一翼を担っているが、ここに至る道は「暴れ川」豊川との度重なる闘いがあった。

 

 松原用水の起源は1567年(永禄10年)に遡る。確たる水源がなく、干害が頻発していた豊川右岸地域を拓くため、橋尾村(現豊川市橋尾町)に堰を造ったことが松原用水の発端である。その後、1691年(元禄4年)の大洪水で井堰が破壊されたため、位置を上流部の日下部村(現豊川市豊津町)に移し「日下部井堰」築かれた。この堰は、河道に対し直角に築く「一文字堰」であり、舟通しを兼ねた放流施設を設けることで洪水時の流失を防ぎ、併せて土砂堆積による機能低下を回避できた。長寿命化と利便性を兼ね備えた画期的な堰であり、その後およそ180年にわたり利用され続けた。

 1869年(明治2年)豊川の水流の変化により井堰からの取水が減少したため、さらに上流の松原村(現豊川市松原町)に宝川の廃渠を利用し幅2間、長さ600間を開削・移築し、1967年(昭和42年)の牟呂松原用水合口頭首工の完成までの約100年間にわたり利用された。
  その後、1996年(平成8年)に豊川総合用水緊急改築事業により牟呂松原頭首工が改築され現在に至っている。 

 

               牟呂松原頭首工

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歴 史

江戸時代の豊川と付近の新田古図面

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豊川に堰を作り無駄なく地域・流域に水を送っている。この分水堰から新城市や牟呂地域の流域に送水しています。

東三河の豊川流域圏と施設

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          ローラーゲートタワー・越流堤と魚道

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河川水量は管理棟で絶えずローラーゲートで調整している。また越流堤より流れているが魚道も確保されて自然環境にも優しい。

 

  豊川左岸を潤す牟呂用水は、大規模な新田開発の用水源として1888年に開削された。難工事であったが、震災、台風水害等に対抗する2つの新技術により完成に至った。その1つ、「自在運転樋」は、用水路と河川との平面交差部に水の重量で放流量を自動調節する堰を設け、洪水時に堰の流失を防ぎ、併せて用水の安定取水を可能としたものである。

 約450年前の開削から度重なる苦難を乗り越えてきた現在、松原用水・牟呂用水は適切な水管理のもと、統合された取水口から約1,600haの水田地帯に恵みの水を送り続けている。

年表と事業

1567年 永禄10年 吉田藩城主 酒井忠次の命により八名郡橋尾村 (現豊川市橋尾町) に井堰を築立。吉田城下の大村村まで引水し、美田をつくった。

1691年 天正10年 未曾有の洪水のため井堰が破壊される。

1693年 元禄6年 新井堰を上流の八名郡日下部村(現豊川市豊津町)に移築し、新水路380間(687m)を掘り、橋尾で旧井堰につなげた。

1869年 明治2年 井堰をさらに上流の(現豊川市松原町)に移築し、新水路は宝川の廃墟を利用して幅2間、長さ600間を開削。改修費1700両のうち700両は吉田藩より補助。残り1000両は松原用水井組24か村が負担

1888年 明治21年 用水利用23か村の総代が牟呂用水との関係(既得権)について県へ陳情

1908年 明治41年 4月13日 水利組合法により松原用水普通水利組合と名称を変更

1932年 昭和7年 松原用水改良事業を実施

1952年 昭和27年4月 土地改良法により『松原用水土地改良区』に名称変更

1967年 昭和42年 牟呂・松原用水合口頭首工完成式

1983年 昭和58年 新規県営かんがい排水事業松原用水地区 着工(幹線水路のパイプライン化)

1990年 平成2年 新規県営かんがい排水事業松原用水第二地区 着工(支線水路のパイプライン化)

1995年 平成7年 新規小規模かんがい排水事業松原用水地区 着工(農振農用地以外のパイプライン化)

1996年 平成8年 緊急改築事業により改築が進められた牟呂松原頭首工新堰が完成 (旧堰撤去を含む)

1998年 平成10年 11月18日 新規県営かんがい排水事業松原用水地区竣工記念式典 松原用水通水430周年記念式典

1999年 平成11年 県営かんがい排水事業松原用水地区 完了

2004年 平成16年 県営かんがい排水事業松原用水第二地区 完了

2005年 平成17年 2月8日 県営かんがい排水事業松原用水第二地区竣工記念式典

2007年 平成19年 小規模かんがい排水事業松原用水地区 完了    

2008年 平成20年 牟呂松原幹線水路の改築工事が完了

2017年 平成29年 松原用水通水450周年記念式典 世界かんがい施設遺産に登録(松原用水・牟呂用水)

住所:愛知県新城市一鍬田字西浦7番地の2