九州から太平洋と東シナ海に浮かぶ屋久島の宮之浦港へは鹿児島の指宿港より高速船で行きます。概ね1時間15分くらいかな。海はどす黒いというか群青いろというか、船が沈んだらまず助からない沖まで出ます。海上からは、雨が降っていたので島の全貌は、全く分からない。
❍到着した宮之浦港です。丁度雨がやんでました。
港に到着すると、もう雨ばかりです。まず屋久島の気候は亜熱帯性で年中雨ばかりとのこと。天気予報で晴れとなっていても島の何処かで雨が降っている。今晴れていても雨に変わったり晴れながら雨が降っている。そして虹もでる。
お昼ご飯を食べた後、アカウミガメの産卵する海岸に行きました。
永田いなか浜(日本有数のウミガメ産卵地)
永田いなか浜(日本有数のウミガメ産卵地)去年の台風で砂浜がかなり削られたとか
屋久島では交通量が少ないので信号機も少ない。車窓から 時折巨大な山脈が雨の中から望まれる。なんと1900m以上の山もあるのだ。周囲120kmの島の中にそんな高山があるなんて想像してなかった。丁度三角錐か円錐を思い浮かべました。
それ故に雨も集中して木々が生長して、又閉鎖的な島故に大自然が保たれた。そして今は世界遺産に登録された代表的な島なのだ。
山の中へ入り込むと突然雨が降ってくる。スギやもみの木などに水滴がしたたりそれに光が当たると何とも不思議な世界に入ったようだ。
雲間から虹が出ていた。
温度はぐんぐん下がり始め約1000m位上がると不思議なことに広葉樹林は紅葉し出しているではないか。
道はバス1台がやっと通れるくらいで狭く下は千仞の谷である。恐ろしい山道を登るものだとドキドキして目をこらしていました。すれ違いに対向車が来れば何処までも下がるのだ。
駐車場に着くと最初ヤクスギランドに着いた。
ヤクスギランドのコースです。
昔屋久杉の伐採方法が記されている。
ガイドさんから樹齢千年杉を案内され、森の中は大地から伸びる大木と木々から落ちてくる根や朽ち果てた木から新たな木が出ている。山の途中まではサルスベリの木々も有ったのだがその太さは想像出来ない。途中からアコウの木がぶつかって杉なのかアコウなのか分からなくなってくる。根元には雨に濡れ、水滴が滴る苔に覆われている。種類は様々だ。ガイドさんに説明を受けても記憶にはとどまらない。まさに古代ジャングルの中にいるようだ。
三百年前に切り倒された切り株の上から新しい木が育っている。
渓流が至る所にあり昼間でも薄暗い。
千年杉なのだがなかなか発見されないそうだ。
苔の間からまむし草が生えていた。
二千年杉だそうだ。対象物がないから写真だと実感が湧かないかも知れない。
サルスベリに似たこの木はアコウの木だそうな。
アコウの木の根元にもびっしりと苔が生えている。
倒れて来た他の樹木と合体してその下をくぐり抜ける。
神秘的な世界で未だ発見されていない樹木もこの奥には有るそうだ。
切り株の上に新しい樹木が生まれている。
ヤクスギランドの出口の休憩所。
一路出口に出て今度はバスで案内してくれました。そこには、二千年杉を見せて頂き最後紀元杉(参千年杉)にたどり着いた。時折雲の合間から山頂の頂きが見えるのだが遙かに高い山々は一瞬の間に雨雲に隠れてしまうのだ。
森の中に突然巨木が現れた。この木の巨大さにびっくりだ。これが紀元杉だ。
あまりの巨大さに撮影位置が分からないが、とにかくシャッターを押した。周囲は崖で足下も悪い。いつ雨が降ってくるか分からないから撮影チャンスはそう無い。
位置を変えて撮影しても全貌は分からない。
近くに詳しい説明の標識が有った。この紀元杉は約3,000年ものだ。杉が代表でこの木に多くの植物が着生している。栂、檜、ヤマグルマ等々だ。
幹周りは10mくらいあるのでないか?この奥には縄文杉も有るそうだ。そこへたどり着くには一日がかりで登山出来る人しか見られないそうな。なんと30~40mくらい幹周りが有るそうだ。
約2~3時間観光が終わって、また迷路のような山道を下ると温度が上がり亜熱帯の花々が出迎えてくれるのだが、もう陽も傾いて薄暗くなってきた。
でも次の観光スポット千尋(せんひろ)の滝を見学しました。
もの凄い一枚岩の谷間に滝が水しぶきを上げている。これが千尋の滝(せんひろのたき)だ。
屋久島は小さな島ですが雨が多いせいか水量は有ります。山も高いので電気は水力発電所が2箇所も有るそうです。まだまだ明るい夕刻、大川の滝(おおこのたき)にも行きましたが雨上がりなので水量が尋常では無い。水しぶきで霧に覆われて、又薄暗いので撮影は止めました。
それから、翌日は宮之浦港より高速船にて、約50分で種子島の西之表港に到着です。
種子島と言えば日本のJAXA があるところだ。やはりロケットの打ち上げ場は、一度は見たいと思っていた。
種子島は、平坦な丘陵地帯で大きな山脈は無くせいぜい300m以下の山しか無い。土地自体肥沃なので農地向きだ。ガイドさんの説明だと種子島の人はよくはたらくのだそうだ。主に稲作水田が多くまたなんでも作れるのだ。車窓からは刈り取られた水田やサトウキビ又は甘薯(安納芋が多い)が見られた。
ロケットの見える丘から打ち上げ場を望む。ロケットの格納庫が2基見える。
そうこうしているうちに種子島宇宙センター・宇宙科学技術館で日本の宇宙開発を見学した。
玄関です。コロナの関係で入館の時間指定や体温チェックなど厳重だ。勿論飛び込み見学はお断り。
館内の様子。
HⅡ-Aロケット発射の様子。
宇宙ステーションきぼう内のモデル。
実際の大きさはこんな感じ。
ロケットエンジンのレプリカ。
門倉岬は宇宙科学技術館から近い。日本で一番宇宙に近い施設から鉄砲伝来の地が近いとは、種子島は飛んでいる。
門倉岬にとうちゃこだ。
鉄砲伝来の地 門倉岬
門倉岬 この地の海岸に一艘の船が漂着した。
門倉岬はポルトガルの鉄砲伝来の地だ。天文12年8月25日(1943年9月23日)この下の海岸に一艘の船が漂着した。台風やら海賊に襲われて航行することはもう出来ない状態だった。それは明国船であってその中にポルトガル人が3名いたそうです。他には明国人の乗組員が140人いたそうです。船は45mもある当時としては外洋を航海するには十分であった。
この船を何艘もの小舟を使って曳航し8月27日に赤尾木(あこう)に入港した。時の城主種子島時尭(たねがしま ときたか)は16歳であった。漂着した明国人とポルトガル人を尋問したところ長い鉄の棒を持っていたのでそれは何かと訪ねたところその鉄の筒を空に向けて発砲した。雷のような音が辺り一面に響き渡った。空を飛んでいた鳥に弾が命中し落ちてきました。それは何であるか訪ねたところ鉄砲という武器であると答えました。種子島時尭はこの鉄砲(火縄銃)が大変気に入りました。その内の2本を二千両(現在で換算すると2億円)で購入したとのこと。
そしてその後この鉄砲を刀鍛冶の八板金兵衛(やいた きんべい)に作るよう命じました。その製造には苦難に苦難を重ねたものの形は出来上がったのですが肝心の雌ねじの部分がどうしても出来ません。そこで愛娘をくれてやるから製造方法を教えてくれと頼みやっと完成したそうです。主命とは言え無茶苦茶な話だ。
刀鍛冶の八板金兵衛:鉄砲を作る様子。
鉄砲館:入口
鉄砲館:展示品
それが日本全国特に堺のの商人へと伝わったのだ。戦国時代鉄砲を使った戦は三河地方では長篠の戦が有名だ。
暫くぶりの旅で、ゆっくり、のんびりを夢見ていましたがコロナの関係とせわしい行程で乗り物全て飲食はご遠慮。帰宅も夜中の12時を回っていました。疲れが残ったが良い旅になりました。